UN PEACE BELL
「少しの理解と笑顔が世界平和を守る」
中川千代治
STORY
第二次世界大戦のとき、日本人の中川千代治は徴兵され、一連隊の隊長としてビルマに出兵させられました。歴史にも残るビルマ戦の惨禍の中、部隊は全滅し、奇跡的に一人生き残った帰国した彼は、このような悲惨なことを決して繰り返してはならないと、世界平和の活動に人生を捧げる決意をしました。
故郷、愛媛県宇和島市に戻った彼は、菩提寺である「泰平寺」の梵鐘が、戦時中に武器の材料として溶かされて無くなっていることを悲しみ、いらなくなった軍刀や世界中のコインを集めて、鐘の正面に『世界絶対平和萬歳』と彫られた鐘を寺に寄贈しました。世界中の人の平和への想い込められたこの鐘は、とても特別な意味のあるもので、現在も『泰平寺』にあり、これこそが、『国連平和の鐘』の原型と言えます。
1951年、パリで開催された第6回国連総会の際、千代治はまだ日本が参加を認められていないにもかかわらず、オブザーバーとして参加し、「世界中のコインを集めて、戦争や紛争や憎しみのない世界への希望の象徴として、平和の鐘を作り、国連に寄贈したいと提案しました。その提案は全員一致で認められ、その実現のために、参加国65人からコインを集めました。その後千代治は、9枚の金貨を寄贈してくださったローマ法王ピオ12世を始めとして世界各国を訪ね、鐘の話をしてコインを集め続けました。
1953年千代治は私財をなげうって、地元の鋳造所など多くの方々の協力を得て、集めたコインや武器を溶かし、平和と希望と『世界絶対平和萬歳』の願いを込めた鐘を作り上げ、鐘は日本から旅立ちました。
そして1954年、『平和の鐘』はニューヨークに新しく建てられた国連本部の中庭に設置され、『日本の平和の鐘』として、現在も9月の国連総会の時には、歴代の事務総長がその鐘を打つ『鐘打式典』が行われています。
1970年、大阪で開催された万国博覧会の際、千代治は自費で国連にある『平和の鐘』を万博会場に展示するため、日本に里帰りさせます。そして、国連の鐘楼が空にならないようにと、全く同じ鐘をもう一つ作り、万博が終了すると、その2つの鐘を交換しました。その時の留守番を担った鐘は、現在も大阪の万博記念公園に設置されています。
千代治は、その後も平和のメッセージを各国に伝え続け、1972年に亡くなるまでに、288個の『国連平和の鐘』のミニチュアを、世界中の大使館に寄贈しました。
国際平和デー
『国連平和の鐘』は毎年2回、立春と9月21日の「国政平和デー」に鳴らされます。国連の事務総長と国連総会の議長が、全世界に向けた平和のメッセージとしてこの鐘を打ち鳴らす公式の『鐘打式典』が開催されています。
高瀬聖子と『国連NGO国連平和の鐘を守る会』
世界平和に一生を捧げた中川千代治氏の娘である高瀬聖子氏は、『国連NGO国連平和の鐘を守る会』を設立し、その協会を通じて、父親の遺志を引き継ぎ、その遺産とも言うべき平和の鐘を守りながら、世界平和の意識を世界中に広めるという使命の元に活動を続けています。この協会は、国連グローバル・コミュニケーション部門と提携しています。
このビデオで、高瀬聖子氏は父親中川千代治の世界平和に一生を捧げた想いを語っています。(国連公式You Tubeより)
『国連平和の鐘』
『世界絶対平和の鐘』:『泰平寺』(日本・宇和島市)
『国連平和の鐘』:国連本部(ニューヨーク・アメリカ)
『国連平和の鐘』の姉妹鐘:大阪万博記念公園(大阪・日本)
『国連平和の鐘』の子供鐘:サンマリノ(サンマリノ共和国)
★特徴:鐘の正面に日本語で『世界絶対平和萬歳』と彫られています。
サンマリノの『国連平和の鐘』に思うこと
『ISSHO-NIサンマリノ&ジャポネ文化協会』と『国連NGO国連平和の鐘を守る会』との友好と、多くの方々のご支援により、サンマリノ共和国に置く『国連平和の鐘』の子供鐘が完成いたしました。
2018年に立案され、2020年に完成してサンマリノに届いたこの鐘は、これまで鋳造された『平和の鐘』の中で4番目に大きく、現在、世界で最も古い共和国に保管されています。平和と自由の国サンマリノ共和国は、長き歴史の中で、常に戦争を否定してきました。その信念は、この鐘と共に、これからの受け継がれていくことでしょう。
サンマリノの『国連平和の鐘』(子供鐘)の大きさ
■高さ:80cm
■直径:45cm
■重量:90kg